山内勇吾 色々 blog

山内勇吾の色々をつづります

西城秀樹さん

まだこのブログの方向性を決めかねているので

暫くは雑記みたいな感じで、適当に書いていこうと思います。

 

ついさきほど、西城秀樹さんが死去というニュースを耳にしました。

私は一応30代なので、西城秀樹さんの全盛期とは

少しずれている世代になるのですが、それでも、ヤングマンだったり

傷だらけのローラなどは、私たちの世代の認知度も高く

特に「ギャランドゥ」というフレーズは、中高生の時には

「お前のギャランドゥすごいな」みたいな感じでよく使ってました(笑)

 

西城さんは、今から15年ほど前に、脳梗塞を患って

言語障害や、麻痺(再発時)などの後遺症に苦しみながらも

精力的にリハビリを行い、ステージにも立ったりしていました。

 

丁度そのころ、私の母親も脳梗塞で倒れて

高校に行きながら看病をしていたので、強く記憶に残っています。

長島監督も同じころに脳梗塞になっていましたね・・)

 

脳梗塞の後遺症は、発症した場所によって程度が変わってきます。

運動や言語を司る場所に影響を与える形で発症すると

片麻痺が起こったり、言語障害が残ります。

私の母親の場合、軽度だったので幸い後遺症は残りませんでしたが

それでも発症直後は記憶障害だったり、軽い言語障害があったので

当時私の受験シーズンだったこともあり、この先どうなるのか・・

とかなり不安に思いました。

 

母親が入院して3日後くらいだったと思いますが

集中治療室から一般病棟に移ったころに、「西城秀樹さんも

脳梗塞になったもんね」みたいな話をしました。

すると、母親から予想だにしない反応が返ってきました。

 

「西城さんってだれ?」

 

人生で初めて、頭が真っ暗になりました。

以前、母親から新御三家の話を聞いたりしていたので

知らないはずはないのです。

 

西城秀樹さん・・」「新御三家で・・」「ヤングマンの・・」

 

等、私の知っている知識を伝えてみたのですが

どうも、ピンとは来ない様子。

当時の私は、身内が弱っている姿を一度も見たことがなかったので

大分、参った思い出があります。

 

日にちが立つにつれて次第に記憶も戻ってきたようで、今では

その忘れていた話をすると、「忘れるわけないじゃない」みたいなことを

言ってくるので、良い笑い話となっています。

 

そんな一件から、その後テレビなどで

西城さんがリハビリに励んでいる姿を見たり

ステージに立ったニュースなどを聞くと、当時のことを思い出して

心の中で応援をしていました。

 

そんな中、今回の訃報を知り

自分でもよくわからない、寂しさみたいなものを感じます。

死因は急性心不全とのことですが

63歳での死去というのは、早すぎます・・・。

ご冥福をお祈りいたします。